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create a day.
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大好きな人の死で幕を開けた今年は
時間軸がぐにゃぐにゃに曲がってたんじゃないかと
思うほどあっという間だった。
彼は、私にとって近くて遠い存在で
私にたくさんの生きるヒントを与えてくれた。
死という人間の最期の仕事を終えるまで、
最後の最後まで自分への問いかけをやめなかった。
自分とは何なのか。
時々、自分がなぜ此処に存在しているのか分からなくて
ほんとうに存在しているのかも分からなくなって
怖くなるときがある。
それが自分への問いかけのはじまりだよ、
彼はそう言ったけど
私にはまだよく分からない。
2008.11
おじちゃんが亡くなって 何年経つかな。。。と思って回顧録。
2008年の、今日。
一人で看病してへとへとになってた伯母を手伝おうと思って
この日の朝に 夜行バスで東京に来た。
夜中にすっごい雨が降って、嫌な雨やな...と思って
朝 病室に行ったら 伯母ちゃんが ぽかん、として座ってた。
白いシーツに おじちゃんは居なくて
私が 状況を把握したとたん、 伯母ちゃんは わーん、と 泣いた。
おじちゃん、今亡くなったんよぅ って
それから先は 断片的にしか 覚えていない。
とにかく、お通夜もお葬式もしない、自然に還してほしい、
私と伯母には おじちゃんの遺言が しみこんでいたから、
全部 ふたりで 決めた。
連絡や いろんな手続き、散骨の日取り、
毎日まいにち、たくさんやることがあった。
おばちゃんは、実務に徹していたし、
東京には 気を紛らわしてくれるものがたくさんあったから
結構たのしくしていたけれど、 よく 突然、襲われたように泣き出した。
ちょっと落ち着いた頃、ぷーたろうで東京暮らしだったので
何となく、私は 池袋の講座に通って ヘルパー免許を取った
今でも ガン細胞に蝕まれていく おじちゃんの姿が 目に焼き付いている
皮膚のうすくなった指先、何度も輸血されて痛んだ血管、くぼんだ鎖骨...
何か しなきゃいけない気がしてたんだと思う。
あれから、おばちゃんもなくなった。
生きるって こういうことなのかなぁ
おじちゃんと 話したいことがたくさんあるょ
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