おばちゃんが なくなって、一年。
もう2,3年まえのような気もする。
ひとりの人がこの世から消えて、何ら変わることはないけど
おばちゃんが 居なくなって はじめて おばちゃんの人生を見た気がする。
戦時中 モノのない時に 人のために尽くした母の姿を見て育ったおばちゃん
その おばちゃんもまた、自分のためだけには 生きていけない人で
いつも 誰かのために、何かをしてなきゃダメな人
祖父が危篤で、父が病気で生死をさまよっているとき、
私は 母のお腹の中に居て それは大変だったらしい。
家族の歴史には、いろんな形のピンチがあるけれど、私が生まれる時の話は
ことあるごとに語り草になっていた。
そのとき、おばあちゃんと、おばちゃんが 必死に 祖父と父の看病をしてくれて
おじいちゃんは亡くなったけど、父は助かり、私も無事に生まれてくることができた
命の 神秘の 交換。
母も、祖母も、伯母も、精神的に どれほど不安だったろう。
おばあちゃんは 毎日 百度参りを していたと話して聞かせてくれた。
おばあちゃんとおばちゃんのおかげで、私は元気に生まれてこれた。
一粒万倍
おばあちゃんが よく口にしていた言葉。
撒いた種は、きっといつかどこかで目に見える形で現れる
おばちゃんに もらった種を、私も 撒かなきゃ