ぜんぜん年末気分でない この年末。
ぎりぎりまで 大掃除のおの字も見えない部屋の整理を
ようやく始めていたときに 出てきた資料。
伯父が定年前に書いた記事だった。
会社のひとは、この記事をどう理解したかな、
フツーなら 35年間の思い出に浸ったり 仕事を通して学んだことなんかを
ずらずらと書くのだろうに まるで違う。
でも 今の私には 伯父の気持ちがよくわかる。気がする。
20代前半の頃、漠然とした不安とか焦り、なんかを伯父にぶちまけたことがあった
ただ、聞いてるだけだった。
自分で決断しなきゃいけない。他人が決めたことには責任がなくなるからね
…たとえば5年、10年後 自分が思ってもみなかった広がりがあるかもしれないよ
そんなようなことを言ってくれた。
今 自分が30年生きてきて、かつての伯父と重ね合わせてみても、
伯父が 一つの会社でサラリィマンをやり遂げたってことが 不思議でしょうがない。
伯母が居たから…?世間体を気にするような人ではないし、自分に何かやりたいことがあれば
迷わず 進んでいたんじゃないだろうか... 記事にも書いているように、仕事において
不本意な選択を強いられること、職業生活と「本来の何か」との間の一線、
どうして これに耐えられたんだろう。私は いつも、そこから抜け出すことを考えてしまう。
自分の中に 一つの矛盾を許すのであれば、100の矛盾を抱えるのも同じこと、
そう言いたいのかな
年末とか、新年とか、関係なく このところ何か自分の中でもやもやしている
今の私に おじちゃんは なんて言うかな 黙って聞いてるだけかな
パブリックに書いた記事だから、載せてしまう。
(社内報原稿)
勤続35年の自分とは?
塀の上のネコに出くわすことがある。ミャーワォとネコ語に似せて鳴いてみる。
相手は「ネコでもないし….?」と、ヒゲを前に目を丸くして見る。安全そうな
所まで離れていって正坐し、片目になったり、目を閉じたり、上を向いてみたり.
と思うとやおら坐をくずして脇腹をなめはじめる。
こんなネコと意志を通じ合えればいいなと思う。
小学校のころ課外活動の理科同好会で、「何でもよいから質問してよい」と先生が
いわれた。思いきって「死んだらどうなるのですか」と尋ねてみた。先生が
質問者と気持ちを合わせて話してくれたら、満足だったかもしれない。
学生のころのゼミの集まりで、なぜか友人が言った。「○○は 自分のへそばかり見ているが、
なんともならないのではないか.」話題にしてくれたことを、よかったと思った。
彼はもう この世にいない。入社してから、同窓の気安さも手伝って、ある人に
「自分が誰かが分からない」という風なことを言った。いかにも青臭いという風であった。
その人は今は社にいない。右往左往を結果から並べただけに過ぎません。
不本意な選択を強いられることは、仕事の場面で はなはだしい。例えば、ビジネスで
「寄付」金を支出するときに、漠然としたものはあり得ません。賛助で、頼まれて、
義理で、社名を出すために、…などなど。もしも自発的なものなら、2万円出さなければならない
というようなことはないはずです。職業生活と「本来の何か」との間には何か一線が
あるのでしょうか。しかし人生の過半をこのようにして過ごしてみれば、
こだわりきれるものではありません。そもそも「暴力はいけない」と思いつつも、
ふだん食べている魚は、逃げるのを捕えられたものです。
「結果にとらわれない」という、聖賢といわれる人たちの言葉があります。結果を
気にしないと思えば思うほど余計に気になる。だからなおさら気にしないように心がける。
つまるところ結果と自分とは、どうつながるのだろうか。それにしても、こんなにながい日々、
社会人として 過ごしてこれたのは様々に支えられてこそ。感謝の気持ちも忘れてなりません。
ある国では、何回も生まれ変わり自分を見つける旅をする考え方もあると聞きます。
あせることはないと思わねばなりません。