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NEW YEAR
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マーケット&高円山


毎月 最終日曜日はJR奈良駅前のマーケット。

今月から 8時〜12時になりました


早くも五月晴れの空模様に
キタさんの苗が 光ってました♪



はやく終わったし 久々にバイクだし
どこか寄ろうかな〜と 高円山へ...


1月に来たときは 繭の黄緑色が目立つくらいだったのに
今や まぶしいくらいの新緑!めぐるめぐる...




支那油桐の新芽

お花みたい。




かわいい兄弟ハイク


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「遥かなる記録者への道」「うつわ-食器の文化-」


きょうは 朝から営業に出て

お昼に 買い物に「ろ」へ立ち寄ったら 

ひでおさんから できたてほやほや のフライヤーいただきました☆

(いつも渾身のフライヤーありがとうございますm(__)m)


と いうことで 私も ひっそりと お知らせすることにいたしやす。


 

18時は 開場 開演は18時半から
地図など詳しくはhttp://rokkyao.exblog.jp


民映研(民俗文化映像研究所)の記録映画は、
叶うなら 全部、見たいと思う。


-姫田忠義と映像民俗学-

私たちに、「民俗映画」を撮るという意識があったわけではない。
「人は、どう生きてきたか」ただ、そのことへの関心であった。
名もないと言われる庶民的生活者、その人たちの中に伝えられている
内的世界。私たちはそれを基層文化と呼び、見つめ続けてきた。
1961年の対馬での映画フィルムによる記録作業から今日まで、
120本におよぶ映画フィルム群、150本をこえるビデオ作品、テレビ作品が生まれた。
この「遥かなる記録者への道」には、そのなかで私たちが出会い、記録作業を続けてきた
農山漁村・離島やアイヌの人たちのこと、さらにはフランスのバスク民族、
カタロニア民族などのことが編みこまれている。
基層文化のもつ無限の深みと持続の世界。
有限である私たちがどう接するか。何をなし得るか。
私たち自身、既に出来あがり完成した記録者ではなく、絶えず模索し、
未完成であるがゆえに絶えず「記録者」とは何か、どのようにあることが
その名にふさわしいあり方なのかを問い続けている。

民俗文化映像研究所所長 姫田 忠義




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コチニール_植物顔料


本日 滋賀ワーク。

やっぱり 植物顔料はおもしろい..



コチニールで 染液を作って
明礬を入れて レーキ化、インクに。(pH4.5)

さらに 炭酸ナトリウムを加えて中和させる(pH7.0)
(今回は HORIBAのpHメーターをつかってばっちり中性に◎)

見事な沈殿。




写真が悪いので 色味がわからないですが...

植物顔料STOCK。
コチニールとラックは ほとんど色味が同じ。きれいな紫色です

藍が乏しい...

 
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洞窟へ


洞窟へ

-心とイメージのアルケオロジー/港 千尋 著


おもしろい というか、私の興味に たくさん情報をくれた本でした
難解な部分も多くて すっかり理解できなかったけど

旧石器時代遺跡の年代測定がテーマだった大学時代...
ふたつの出会いが。

研究室の先輩が 二上山のサヌカイトで石器を作っていて
真似して サヌカイトや黒曜石で作ってみたけれど
剥片を取るのが どんなに難しいか 知ったとき、
旧石器人って 真剣に スゴイ。 と思った
そして
はじめて 黒曜石のナイフ形石器を手にしたとき
とっても 美しい.... と思った。

これが 石器 との出会い


洞窟壁画を はじめて図録で見たときの
細胞が沸き立つような 「衝撃」
シンプルな線で描かれた バイソンや馬、洞窟の起伏をうまく使って
迫るように描かれた構図、エネルギッシュな無数の手型、
しかも これが2,3万年前の私たちの祖先が描いたものだなんて
はじめて知ったときには、衝撃でしかなかった。

これが 洞窟壁画 との出会い

私の中の、これら ふたつの出会いは、自分の中で
系統づけできていなかったけれど
この本が 結び付けてくれました。

「旧石器時代」 と
人類の進化とともに生み出されてきた石器に軸をおいた編年は
前期、中期、後期と区分されているのですが その中で
「ルヴァロワ技法」と呼ばれる高度な技法で石器をつくったのは
中期旧石器時代(ムスティエ文化)、およそ20万〜3万年前
私たちホモ・サピエンス・サピエンスが出現する前の
ネアンデルタール人類で、

ルヴァロワ技法の石器というのが どんなものかというと...
石器に適した石選びに始まり、それまで 石のかたまりを
そのまま叩いて整形していた方法ではなく、
下図のように 亀の甲羅状のものをまず作っておいて、さらにそこから剥片を
取り出してたとえば尖頭器にする、という めちゃくちゃ高度な技術なのだ




私がかつて手にしたナイフ形石器は(たとえば下図) もう一段階後の石器文化になり、
洞窟壁画が描かれたころと重なってくる。やっぱ 美しい..
(別の話題になるけれど、石器は わたしたちホモ・サピエンス・サピエンスの
「手仕事の原型」のように思います・・・)


http://www.avis.ne.jp/~tsutsumi/kyuseki/kyuseki.htm

この人類進化の時間軸、「万年」単位のスパン。
想像なんて、できません^^;



ここまで精緻なものを作り上げるには、頭の中に どのような方向に
どのような強さで叩けば目的の形が取り出されるのかが プログラムされていて
且つ、最終段階のイメージがなければできない。

と 港さんが書いているように、
モノをつくるということにおいて 石器を作るということは
「創造力」という面で相当に発達していると思うのだけれど、

石器をつくり始めた頃からみれば、洞窟壁画が描かれるようになる時代は
「数百万年」も 後だ ということ。

人類の進化として 石器をつくる ことと、描くこと をつなげて考えると、
この半端ない時間差は とっても不思議
「描く」ってことは とっても本能的で、言葉よりも、道具を作ることよりも、ずっとずっとプリミティブ
だと思っていたんだけれど.......

もちろん 考古学において「残っている」ってことが大前提になるし
そこに 年代を評価できるものがあるかどうか も重要だから
残りやすい石器と、残りにくい壁画を 単純に比べていいものか わかりませんが

この本では、さらに 脳の発達、心理学や アフリカのサン族の伝達手段など
いろんな方面から考察しているのですがよぅわかりませんでした^^;


でも
人類史の中で わたしたち現代人は 縄文時代でおよそ1万年前ですから
ほんの「ぴっ」とした点でしかないわけで
なんだか とっても急速に進化してきたように思いますが...

ショーヴェ洞窟の壁画を見ると、やっぱり 本質的には とくに、変わっていないように
思ひます

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脱ダンシ。
 


ぶんちゃん、



   ごめんね。





傷心ナノダ。


キーボードの上で じゃまスルノダ。




キタさんのたまねぎ染め×五倍子染め×生成りラミー


ぶんちゃん故郷のやっぷんネエさん江 お弁当袋のお返し。

やっぷんネエさんの編み物は すべて「感覚」なんだけど
ふしぎな 使い心地の良さ。

がま口を作りたいので ひしこちゃんの布ほしぃ っと♪
じゃっかん よれよれで ごめんなちゃい

裏布つけて作ってね^^



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かゆかゆ...


ついに 春の味覚の王座...

たけのこさま到来☆



実家の庭にすこーし竹があるので 毎年のおたのしみ。



美味しいから調子に乗って ぱくぱく してたら
顔にぷつぷつ出てきた... かゆかゆ。

でもやっぱり食べてしまふ_


フライパンで焼いて 岩塩! サイコー♪ 


たけのことわかめのたいたん
出汁をたっぷり 薄味で

あぁ とまりゃん


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りせっと。


年が明けて

気づけば おばちゃんが 居なくなってて

仕事もわるくない忙しさで、気づけば 桜が満開になってた。


今日は 雨の日。そしてひさびさに予定のない休日。

ゆっくり起きて 朝ごはんを食べて
ぶんちゃんと ひとしきり あそんで
昨日受け取ったキタさんの野菜をひらいた。
先週よりも 春のにおいをたっぷり含んでる。新顔の牛蒡とカリフラワー。
包まれた新聞紙をひらく瞬間が いつも楽しみで

キタさんの野菜は とっても、強い。
土をつくるために、野菜の切りくずを混ぜ込んでおくと キャベツの芯から
新芽が出てきたり、牛蒡が収穫できたり。 小さな、しあわせ。


庭の日本茜は 去年よりもはやく新芽が出ていて、去年よりもたくましくなって
ラベンダーもぐんぐん大きくなって 根っこが植木鉢を突き抜けていた
じか植えしてあげよう。何も雨の日に庭仕事しなくても...
自分でつっこみつつ それでも 引きやすくなった雑草の中に
見つけた野の花。子どものころ、お気に入りだった野の花。

犬の散歩の道中で野の花ブーケを作って持って帰ると
うれしそうに 小さな花瓶に入れてくれた。
子どものころ ずっと私の傍にいた おばあちゃん
一時は すごいうっとおしくて辛くあたったときもあったけど
一番 感謝と尊敬してる人。


世の中に、偉大な人はたくさん居るけれど、私にとっては おばあちゃんや
伯父ちゃんや 伯母ちゃんが すっごく偉大だなって今は思ってる
みんな、どこいっちゃったんだろう...ときどき すごく会いたくなるのに
死って ほんとに不思議な現象で 
でもこうして誰かの記憶や暮らしの中に、
いつまでも 光の粒みたいなのを残すことができるって、
人間が生きることの究極の喜びなんじゃないだろうか って最近思う。

伯父ちゃんから託された宿題は まだ本気で取り組めないでいる
私は だれかの心の光の粒になるような生き方ができるだろうか


こうやって とりとめのないことを考えながら
家の仕事をするのは 結構好きだ

牛蒡とにんじんできんぴらを作って こんぶとかつをでだしをとって
カリフラワーの葉と お揚げさんで味噌汁を作って 玄米を研いで

夜が更けた

ぶんちゃんが膝の上で寝て 私はFさんに借りた本を読む


ゆっくり、いろんなことがリセットされてゆく。





 ぼちぼち手紡ぐ

 春野菜

 うみゃいっ

 五倍子くん

  染液

 本日のメニュー

 ぶんちゃんもお勉強なのだ

 I see ☆
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